寺院内の画像

金輪王寺について

寺院内の画像

 一三三六年天皇親政を掲げた後醍醐天皇は、金輪王寺を南朝皇宮と定め朝廷を開きましたが、一三三九年、金輪王寺で崩御されました。

 江戸時代初頭、寺院勢力旺盛なることを危惧した徳川家康は天海に命じ、金輪王寺寺号と勢力を没収し、頭の金を外し日光へ移し日光山輪王寺とされ史実上埋没したものであります。

 約四百年の時を経て、金輪王寺を再興するにあたり、旧皇族朝香宮家当主誠彦氏にご賛同頂き名誉総裁にご就任いただきました。

 1336年天皇親政を掲げた後醍醐天皇は、金輪王寺を南朝皇宮と定め朝廷を開きましたが、1339年、金輪王寺で崩御されました。

 江戸時代初頭、寺院勢力旺盛なることを危惧した徳川家康は天海に命じ、金輪王寺寺号と勢力を没収し、頭の金を外し日光へ移し日光山輪王寺とされ史実上埋没したものであります。

 約400年の時を経て、金輪王寺を再興するにあたり、旧皇族朝香宮家当主誠彦氏にご賛同頂き名誉総裁にご就任いただきました。